OUTSIDE IN TOKYO
MIYAKE SHO INTERVIEW

三宅唱『きみの鳥はうたえる』インタヴュー

8. 現時点では、やっぱり僕にとっては映画が一番面白い。
 特に、映画館という装置は本当に面白いと思います

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OIT:そこに新しさを感じます。かつてゴダールは、日本映画は存在しないけれども、大島渚とか特定の映画作家だけが存在していると言いました。また、大江健三郎は、文学というのは常に存在する訳ではない、日本文学というのも常に存在する訳ではない、しかし、夏目漱石がいた時、日本文学は確かに存在していたと、そういう言い方をしています。確かに、外からは、日本映画もしばらく存在していないかのように見えていたけれども、ここにきて明らかに存在し始めてるのではないか?恐らく、2011年の3.11の後、それをきっかけに日本映画は存在し始めてるんじゃないかということを感じていて、三宅さんの『Playback』もそうだし、濱口さんの作品群であるとか、三宅さんもすごく褒めてたけど小森はるかさんの『息の跡』とか。
三宅唱:褒めるなんておこがましくて、本当に素晴らしい映画でした。

OIT:『息の跡』は本当に素晴らしいですね、勇気をもらえるといいますか。もちろん、それらに限りませんが、現実として存在しつつあるそうした日本映画群が、グローバルな視点からもこれから見えるようになってきてほしいなと感じていたんです。そういう世界の中の日本映画というような感覚はありますか?
三宅唱:どうでしょうか、別にこれは否定する訳ではなくて、世界とか日本みたいな区分で考えていないので、ここは潔く何も考えてないですって言いたいところですが。ただ、最近考えることでいえば、映画と映画以外のことの関係です。小説もあるし、写真もあるし、メディアアートもあるし、色々な芸術がある。その中で映画は何をしているのか、ということは意識します。

OIT:なるほど、YCAM(山口情報芸術センター)でインスタレーションをやったりとかいうことも含めて。
三宅唱:YCAMでは、インスタレーションの面白さもやっと体感できたし、他の表現手段、例えばダンスがすごく面白いことがやっと体感できました。さっき小説と映画のアングルの違いについて話しましたが、ダンスと映画もどこかで繋がっているというか、アングルの「窓」は違うけれど同じところに根っこがあるような感覚が自分の中に生まれました。すみません、質問していただいたことと話が変わっちゃいました。

OIT:いやいや全然大丈夫です。あまり映画原理主義的な立場よりは、色々なアートフォームと触れて、むしろそれを映画に取り込もうっていう感じですか?あるいは映画じゃなくてもいいかもしれない?
三宅唱:もちろん映画じゃなくてもいいですね、当たり前のように映画があるとは思ってないです。取り込むというのも別にないです。ただ、そもそも、映画に出来ることと出来ないことは確実にあって、それを知りたいとは常々思っています。他のジャンルのことを考えれば考えるほど、映画より洗練されている芸術ってたくさんある。例えば、物語装置としては、映画よりも漫画の方がめちゃくちゃ面白いことになっているのでは、と思います。ただ、映画は映画で、さすが総合芸術というべきか、めちゃくちゃ器がでかいなというのも、実践しながらよく思います。あえて言えば、現時点では、やっぱり僕にとっては映画が一番面白い。特に、映画館という装置は本当に面白いと思います。


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