OUTSIDE IN TOKYO
YOSHIGAI NAO INTERVIEW

吉開菜央『Shari』インタヴュー

6. 映画の見え方が、ナレーションを付けることで
 変わっていくプロセスが楽しかった

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OIT:撮影のクオリティも高いですが、音響も今まで一緒にやってきた北田(雅也)さんですね。そういうクオリティがちゃんとあるっていうのが基本的に非常に大事なことですね。
吉開菜央:最初は、私の好きな絵のテイストもあるし、そういうことも細かく伝えた方がいいのかな、それとも全部任せたほうがいいのかなっていう感じで探り探りで、そもそも手持ちなのか、三脚で定点で撮るのかみたいなこともあったんですけど、撮影初日が終わり、二日目が終わって、石川さんが撮ってくれた画を見たら、ああもう私は何も言わなくていいな、全部石川さんの好みで撮ってもらえたら絶対いいなと思ったんです。それでもうモニターもなくて、自分が“赤いやつ”の中に入っていちいち確認出来なかったっていうこともあるけど、石川さんがOKだったらOKですみたいな感じでした。
OIT:全幅の信頼を寄せたと。
吉開菜央:そうですね。
OIT:むしろ石川さんが勝手に撮ってたような画もあるわけですか?
吉開菜央:勝手に撮るっていうのはあんまりないですね。事前にこういう画が欲しいですっていうことをお伝えしていました。その他にも、山の画が欲しいですとか、熱を感じるもの、赤いもの、蒸気だったり、雪を感じるものとか、そういうものがあれば撮っておいてくださいということをお願いしてました。
OIT:なるほど、そういうイメージをお伝えしていてっていうことですね。
吉開菜央:そうですね。でも結構、家の中とかは石川さんが好きに撮られたかな。家主の個性を感じるものをいっぱい撮ってくださいってお願いしたりしていましたけど、一緒にやりながらこういうシーンもあったらいいんじゃないかとか、そういう風にエクストラをどんどん増やしていったと思います。
OIT:撮影は全部でどれぐらいの期間ですか?
吉開菜央:スタッフがみんな揃ってたのが十日間で、そこで石川さんが帰り、松本さんが帰り、だんだんぽつりぽつりと人が減っていき、最後に渡辺さんが帰って、私が最後までひとりで斜里にいましたけど、だいたい一ヶ月間ぐらい滞在しました。石川さんが帰ってからも撮影を私が続けて、石川さんの撮影した画の中にわたしが撮影した素材を入れても大丈夫かなって不安になりながらも、ちょこちょこと撮影を続けました。
OIT:同じカメラで?
吉開菜央:同じカメラで。だから石川さんが撮ってた画を思い返して、石川さんならどう撮るかなっていう気持ちで結構撮っていた気がします。
OIT:そこから外れないように。
吉開菜央:そうそう(笑)。石川イズムの画を踏襲しなきゃって思って。
OIT:その後の編集は吉開さんがされたんですか?
吉開菜央:そうですね、編集は全部私がやっています。でも、少しドキュメンタリーの場面が今回はあったので、本当にちょっとした言葉の入れ違えで印象が変わってきたりしますから、ドキュメンタリー制作に慣れている渡辺さんに相談に乗ってもらったりして、最後の詰めは渡辺さんと一緒にやりました。
OIT:編集期間はどれぐらいでしたか?
吉開菜央:一番最初に斜里町でまず展示するという締切があったので、結構短くて一ヶ月弱ぐらいだったかな。
OIT:元の素材は膨大にあったんですか?
吉開菜央:膨大にありましたね。
OIT:ナレーションも吉開さんがされていて、リズムが良くて本当に多才だなと思って拝見したんですけど、これは割と苦労もなく出来たのでしょうか?
吉開菜央:ナレーションは最初にそんなに入れてなかったんですよ。鹿肉食べたら眠れなくなったとか、“投げても投げても”とか、山の上では雲と風が拮抗してせめぎ合ってるとか、そういうのは入れてたけど、今ほど入れてなかったんです。それで初めてのオフライン(編集)が出来て、渡辺さんと松本さんに見せたら、“赤いやつ”が何だったのか分からない、この映画は部分的には面白いけど一貫して貫いてるのが何なのか分からないって言われて、このままだと観客には監督が“赤いやつ”っていうことが伝わらないんだって気づいたんです。画でも音でも十分伝わってるじゃんって思ってたんですけど、初見の人には分からなかったみたいで。だからガンガン私っていう言葉を入れながら、今編集してるのが私だし、声やってるのも私だし、この中に入ってるのも私ですよ!って言おうって思って、ナレーションを沢山付け始めました。苦労っていうよりは、楽しかったですね。こうも見えるし、ああも見えるけど、インタビューしてる声とナレーションしてる声はやっぱり同じだし、だから“赤いやつ”が小和田さん達と喋ってるようにも見えるし、訪問してるようにも見えるし、ナレーションを付けることで“赤いやつ”の見え方が変わっていくっていうのが楽しかったですね。どんなに「わたし」だって言っても、やっぱり、“赤いやつ”と「わたし」の存在はずっと絶妙にずれ続けていて、それも面白いと感じました。

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