OUTSIDE IN TOKYO
YOSHIGAI NAO INTERVIEW

吉開菜央『Shari』インタヴュー

8. なんかもうめっちゃ相撲映画じゃんと思う(笑)

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OIT:開かれてるんですよね、それは作ったものじゃなくて、そういうものがこの映画の中に入り込んでいて映画を豊かにしているっていうことですね。
吉開菜央:本当にそうですね。
OIT:たまたま昨日、フレデリック・ワイズマンというアメリカの91歳の巨匠の新作『ボストン市庁舎』(2020)を試写で観て、その映画のことを思い出しました。ボストンのアイリッシュ系の市長が大変立派な人物で、当時トランプ政権下で人々に分断がもたらされましたが、トランプに反旗を翻した人物で、その人を中心として市庁舎全体が反トランプ的態度で“民主主義”に愚直に取り組んでいる。そもそも、政治って何のためにあるんですか、人々の生活を良くするためにあるんですよね?ということに向き合っているんですね、今や、そうではないことばかり目にしているので、こういう“公共空間”もあるんだなというのを4時間半感心しながら見てしまったわけです。なぜそれを思い出したかというと、その空間は開かれていると同時に、せめぎ合いがあるんです。様々な人種が住む移民国家であるアメリカ合衆国と開拓で成り立ってきた斜里という土地は、精神風土的に近いものがあるのかなと思ったんです。
吉開菜央:確かに、アメリカもそうでしたもんね。
OIT:開かれてるところとか、日常的にそういう会話が成立しているところが、凄くいいことだと思うんですけど、東京は全然そうじゃないんですよね。
吉開菜央:そうなんですよね、隠しますよね、やっぱり。争いになりそうなことは言わないでおこう、そんなものはそもそも全部摘み取っておこうみたいな感じがある。
OIT:『Shari』を見て感じた、ある種の明るさ、風通しの良さがある社会がいい社会だと思いますが、その同じ感覚をワイズマンの『ボストン市庁舎』にも感じたということです。
吉開菜央:だから人々のキャラクターも濃いのかなって思いますね、本当にみんなキャラが濃くて、映画に出てる人達だけじゃなくて手伝ってくれたプロジェクトメンバー、写真ゼロ番地知床の人達もみんなキャラ立ちしてるんです、ズカズカ来るんですね(笑)。個性って強く出過ぎるとたまに大変なこともあるけど、誰々さんだからなぁみたいな感じで、みんなお互い様で相手にちょっと踏み込んでるんですよね。そうやっていい意味で人に迷惑をかけるとか、自分のキャラをガンガン出すことも出来る、そういう風に生きることが出来る場所なんだなぁ、ここはと思います。
OIT:それが見事に雲と風が拮抗しているという喩えで表現されていて、あらゆる場所で相撲をしている、拮抗しているっていう映画になってますね。ある種ユートピア的に、様々な成り立ちの力と力が拮抗してせめぎ合いながら存在している、どっちかが沈黙してしまうのではない、そういうあり方が可視化されている。
吉開菜央:最初の紙芝居の段階では、そういうことをちょっとふんわりと考えて、「あらゆる相撲を試みよう」って言葉を紙芝居のナレーションでも入れてみていたんですけど、いざ映画が完成したら、本当に斜里の至るところで相撲が起きてたと思って、なんかもうめっちゃ相撲映画じゃんと思う(笑)。
OIT:相撲のシーンを撮った時はそこまでは考えてなかったわけだけど、感覚的になんか感じ取っていたと。
吉開菜央:そうですね、感覚的にです。子ども相撲がめちゃくちゃ好きなので、“わんぱく相撲”って検索したら出てきますけど、子どもの相撲大会があって、めっちゃ泣けるんですよ。だから子どもに相撲をとらせたいっていう欲望は凄くあった。
OIT:子ども相撲がお好きなんですか?
吉開菜央:2019年の夏に初めて知ったんですけど、YouTubeで女子の子ども相撲大会の様子が流れてきたんです。2019年の夏は初めて女子がわんぱく相撲で相撲をとることが許された年だったんですよ。記念すべき女子の初代横綱が決まるぞっていう大会で、もうめちゃくちゃみんな気合い入ってて。きっと女子って最初から相撲の強い子になるようには育てられないじゃないですか。パンプアップして、体がムキムキになり過ぎちゃうことには、女心がゆれることもきっとあったかもしれないなと思うんですが、みんなすごくいい肉体で挑んでいて、そういうのも全部ひっくるめていろいろ想像しながら見ていたら、涙がとめどなく溢れました。

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