OUTSIDE IN TOKYO ENGLISH
2016 BEST 10 FILMS

2017.1.19 update
小倉聖子(VALERIA/映画宣伝パブリシスト)

上原輝樹(OUTSIDE IN TOKYO)

新作映画ベスト10
小倉聖子
『追憶の森』ガス・バン・サント
『教授のおかしな妄想殺人』ウディ・アレン
『裸足の季節』デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
『太陽のめざめ』エマニュエル・ベルコ
『The Salesman(原題)』アスガー・ファルハディ
『イレブン・ミニッツ』イエジー・スコリモフスキ
『グランドフィナーレ』パオロ・ソレンティーノ
『レジェンド 狂気の美学』ブライアン・ヘルゲランド
『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』トム・ムーア
『残像』アンジェイ・ワイダ

本当に言い訳っぽく聞こえると思うのですが、今年は人生で一番忙しい年と思うくらい忙しく、映画を映画館であまり見れなかったことを大反省。きちんと映画館で見た作品の中から10本を選びました。この中でも『裸足の季節』は、見る前は『ヴァージン・スーサイズ』のような映画かと思っていたのですが、見てみると全然違う。トルコを舞台、社会や宗教を底辺に描いたリアリティのある傑作でした。またエマニュエル・ベルコの『太陽のめざめ』も、社会背景を丁寧に描き、ブノワ・マジメルの好演によって映画が更に深い作品に仕上がっていた。イランのアスガー・ファルハディの最新作『The Salesman』は、脚本と役者の演技に2時間釘付けになる面白さ。ポーランド映画祭のために、アンジェイ・ワイダ監督のコメントを撮りにお宅にお邪魔してお話を1時間以上伺った。その際に新作『残像』のチケットをいただき拝見させてもらったのだが、この作品が本当素晴らしかった。ポーランドの社会主義時代を背景に一人の画家を描き、「生きづらさや息苦しさ」がスクリーンから力強く伝わる。ワイダ監督の遺作となってしまった。この時、ワイダ監督は「年末から別の映画に取りかかりたい」と話していた。

小倉聖子
映画宣伝パブリシスト。2016年は、「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ!」、『バベットの晩餐会』、「ロメールと女たち」、『AMY エイミー』、『イレブン・ミニッツ』、『男と女』、「ポーランド映画祭2016」、などの宣伝を担当。現在、ホセ・ルイス・ゲリン監督最新作『ミューズ・アカデミー』(1月7日(土)-1月29日(日)まで東京都写真美術館ホールにて開催)、瀬田なつき監督最新作『PARKS パークス』4月22日よりテアトル新宿にて公開、を宣伝中。

新作映画ベスト12
上原輝樹

デヴィッド・ボウイに次いでプリンス、そして、レナード・コーエンまでもがこの世を去ってしまった2016年は、“喪失の年”として記憶されるだけでなく、ドナルド・トランプが勝利した“終わりの始まり”の年として、記憶される年になるだろう。同年に日本で公開された『胸騒ぎのシチリア』には、「もう俺たちの時代は終わった、次は彼女たちの出番だ」という、米国大統領選前には予言めいて響いた台詞だったが、現実の世界に波及するにはもう少し時間がかかるのだろう。

一方、映画という虚構の世界に於いて、その台詞は未だ真実味を持ち続けている。現実に抗って虚構を打ち立て、その境界を時間の経過と共に融解せしめる事態を招き寄せるためにも、ここで2016年の映画を振り返り、“彼女たちの出番”が如何に演出され、スクリーンに“彼女たち”の奔放な魅力が如何に解き放たれたかを、ユートピアン的姿勢とともに改めて想起してみたい。

いずれ、そこには裂け目が生じ、“彼女たち”の存在が現実に浸透していくだろう。デヴィッド・ボウイが、人々の記憶の中や、フィクションの世界の中で一向に”死ぬ”気配がないことを鑑みても明らかなように、人は時として有形無形で生き続け、現実に生きる人々に影響を与える。”不滅”という言葉が存在することを、21世紀に生きる私たちは、もっと真剣に受けとめた方が良いのかもしれない。
1.『キャロル』トッド・ヘインズ
“彼女たちの出番”という意味で、2016年最強の映画は、『キャロル』を於いて他にない。アメリカの戦後50年代、消費社会の始まりの時代において性的マイノリティであることの暗さとロマンティシズムを描ききった本作は、主演を務めたケイト・ブランシェットとルーニー・マーラ、そして、監督のトッド・ヘインズにとっても、永遠の代表作となるに違いない。詳細についてはレヴューを参照してほしい。
2.『光りの墓』アピチャッポン・ウィラーセタクン
『光りの墓』は、映画原理主義の立場から見れば、“映画”と呼ぶのが憚られる類いの作品かもしれない。しかし、21世紀の映画は、そうした外部をも吸収していくことで、“現代映画”としては進化を遂げて来た。有機的にすべての作品が絡み付くアピチャッポン作品の集大成というべき本作においても、主人公は女性(ジェンジラー・ポンパット・ワイドナーが演じるジェン)であり、現実と虚構の狭間に実在し、物理的に存在していないものを重層的な歴史の時間の流れの中に見つめている。詳細については監督のインタヴューも参照されたい。
3.『母よ、』ナンニ・モレッティ
マルゲリータ・ブイ演じる、多忙な映画監督が、余命わずかの母と向き合うことで、自らの母親と自分、“彼女たち”が、どういう人間であったかということを知っていく。夢と現実が交錯し、ユーモアと驚きに満ちた、モレッティの母親讃歌。僅かワンシーンの演出に、映画のエッセンスを凝縮する手腕は、同じイタリアの血が流れるヴィスコンティの名作『家族の肖像』(74)を想起させる。
『家族の肖像』は、2017年の今年、デジタル修復版がロードショー上映される。
4.『山河ノスタルジア』(2015) ジャ・ジャンクー(賈樟柯)
20世紀末には来るべき新世紀への希望すら存在していたという事実を、まさにノスタルジックに想起させるオープニングシークエンスに、『世界』(04)の記憶が重なり、冒頭から敢えなく落涙した。グローバリズムの時代を生きる、汾陽(フェンヤン)で生まれた女性タオ(チャオ・タオ)が生きる30年間(1999年、2014年、未来の2025年)という時間の移ろいの中に、変わりゆくものと変わらぬもの、人間の感情のひだを、監督の生まれ故郷の風景の中に繊細に描き出した傑作。
5.『ブルックリン』ジョン・クローリー
1950年代初頭、ひとりの女性がアイルランドから米ブルックリンに移住する、今まで数多描かれて来たはずの”人生の選択”の物語がこれほどまでに新鮮な感覚で描かれていることに驚く。卓越した色彩感覚、人心地の良い編集のリズム、感情に寄り添う音楽、画面に漲るシアーシャ・ローナンの魅力と彼女が着た衣装に至るまで、すべてが素晴らしい。個人的には、この作品を見る前に、ジャームッシュ作品の残り香が薫る1980年代末のブルックリン、ウイリアムズバーグの風景を、シャンタル・アケルマン『アメリカン・ ストーリーズ/食事・家族・哲学』(88)で見ていたこと、21世紀現在のブルックリンの独自の繁栄を見聞していたことが、この作品への感受性を高めていることは否定しない。
6.『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』リチャード・リンクレイター
全米各地から学生が集まる強豪大学野球部の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)的乱痴気騒ぎながら、”なぜ野球なのか?”という実存の問いに真摯に向き合っているところが、今現在、週末少年野球コーチにハマっている私にはとても嬉しかった。流石は、野球経験者リンクレイター監督である。とはいえ、本作で野球のプレーが登場するシーンは僅かで、しかも、外野フェンスに新入生を張り付けにしてノックの雨を降らせる始末なのだが、それでも、肝心の対決シーンは野球的かつ映画的興奮を誘うものにちゃんと仕上がっている。個人的には、ヴァン・ヘイレンの素晴らしさに今更ながら気付かせてくれたサントラを、野球の行き帰りによく聴いていたことを思い出す。
7.『ダゲレオタイプの女』黒沢清
この現代パリ郊外の地を舞台にした幽霊譚において、真の主役がいるとすれば誰だろう?好きになった女性があれよあれよという間にトランスフォーメーションを遂げてしまい途方にくれるジャン(タハール・ラヒム)、あるいは、”ダゲレオタイプの女”そのものであるマリー(コンスタンス・ルソー)だろうか?私には、ジャン・エプシュタイン『アッシャー家の末裔』(28)さながらの迫力で、見るものをたじろがせるドゥーニーズ(ヴァレリ・シビラ)以外にいないように思える。映画の終盤に登場して印象を残す、美しい老貴婦人Claudine Acsは、マチュー・アマルリックと共に、オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま、ごきげんよう』(15)にも出演しており、グルジア映画の巨匠と黒沢清監督との間に、見えざる縁があるように思えて嬉しくなる。
▶︎黒沢清監督インタヴュー
8.『ディストラクション・ベイビーズ』真利子哲也
キューブリック『時計仕掛けのオレンジ』(71)をルー・リードの3コードのロックンロールで演奏したような、ソリッドかつマッシブな傑作。圧倒的な他者を召還せしめたことで、映画のフレームを消し去るほどの迫力が生まれている。村上虹郎、三浦誠己、池松壮亮、北村匠海、でんでんから、真利子映画に欠かせない狂犬玉井英棋まで、俳優陣が全員、いい表情をしていて爽快感すら漲る。とりわけ、柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈というポップな顔ぶれで、この破壊力というのが素晴らしい。今年、幾つか見た小松菜奈が出た作品の中でも、作品の強度が圧倒的に際立つ本作は、女優小松菜奈の妖しい色気を最大限に引き出すことに成功している。2016年に公開された本作、阪本順治『団地』『ジョギング渡り鳥』、そして、2017年に公開が予定されている冨田克也『バンコク・ナイツ』と小森はるか『息の跡』の2作品、そしてスコセッシの『沈黙 -サイレンス-』が、日本映画の風景を変容しつつある。
9.『ジョギング渡り鳥』鈴木卓爾
不寛容な空気が濃厚に立ち込めた2016年の日本において、自由への遁走を敢行した『ジョギング渡り鳥』は、曰く言い難い天使的な優しさに満ち、自由への欲望を強かに伝染させた。2015年の日本において、”ワークショップ映画”の一大成果を示したのが、濱口竜介の『ハッピーアワー』であるとすれば、2016年のフルーツは本作だ。もはや”映画”と呼ぶにはぎりぎりの領域を滑走し、新しい映画の製作方法のみならず、新しくチャーミングな宣伝手法にも果敢に身を投じた、鈴木卓爾監督をはじめとする渡り鳥集団の活躍は、この映画に触れた観客たちの記憶にいつまでも残り続けるに違いない。
▶︎鈴木卓爾監督インタヴュー
10.『イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優』スティーグ・ビョークマン
ウディ・アレンのインタヴュー本「ウディ・オン・アレン」のインタヴュアー/著者であり、映画批評家、映画監督でもあるスティーグ・ビョークマンが、イザベラ・ロッセリーニの依頼で創った本作は、往年の大女優イングリッド・バーグマンの素顔と奔放な魅力を余すところなく伝える珠玉の作品である。まず驚かされるのが、バーグマンが記録魔だったということだ。プライベートで写真や日記を多く残し、8ミリ・フィルムも大量に撮影していたバーグマンは、その記録することへの愛を、イングリッドがまだ幼い頃に亡くなった最愛の父親から受け継いでいた。映画がクロノジカルに彼女の生涯を伝えていく中で、とらわけ私が惹かれたのは、彼女がプールの飛び込み台から、背面飛び込みを美しく決める8ミリ・フィルムのアーカイブ映像だった。怖れを知らず、自由闊達に、煌びやかな銀幕の世界と、子ども達の母親としての家庭、愛した男たち、そして様々な国境の間を往来した、真の冒険者にして、フェミニストの先駆者であったイングリッド・バーグマンの勇敢さを、その背面飛び込みの思い切りの良さがよく表しているように思えたからだ。
11.『ミスター・ノー・プロブレム』メイ・フォン(梅峰)
『天安門、恋人たち』(06)、『スプリング・フィーバー』(09)など、ロウ・イエ(婁燁)作品の脚本家として知られるメイ・フォンの監督デヴュー作品は、中国近代文学の祖、老舎の短編を元にしている。時代は1943年(折しも、今年スクリーンで見ることの出来た、灯火管制下のパリを描いたサッシャ・ギトリ『あなたの目になりたい』はこの年に作られている)、共産党政権による中華人民共和国建立前夜、日中戦争の最中だが、舞台となった農村は、そんな激動の世の中とは縁遠い桃源郷のような佇まいで、35ミリのモノクロフィルムで撮影された陰影が淡い映像は、水墨画のような浮世離れした印象すら与えるが、”ミスター・ノーブレム”の処世術には、凡アジア的ともういうべき普遍性が宿り、共産党以前の中国社会の在り方が見えてくる。その一方で、先行き不透明な時代における”終わりの始まり”の気配も濃厚に漂う。この作品においても、雌雄を決するのは、”彼女”の決断である。
12.『よみがえりの樹』チャン・ハンイ(張憾依)
東京フィルメックスのコンペティション部門で上映され、最優秀作品賞を受賞した作品。怪異文学の古典『聊斎志異(りょうさいしい)』を土台に、前近代的霊性に接続を試みる現代映画である。悲しい人生を送った母親の精神が息子へと乗り移る奇想の背景にある哀しみがスクリーンに行き渡り、失敗だった人生、その心残りを転生して叶えようとする、名もなき人の人生への想いが静かに溢れている。この母親は、映画の中でその姿すら描かれることがなく、それ故に、映画が表象し得る最も悲しい母親の肖像として、見るものの脳裏にのみ記憶されうる。ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督が若手監督作品をプロデュースする「添翼計画」の最新作とのことで、「添翼計画」の他の作品への興味も募る。


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